私が経験したアメリカの有色人種差別1

 

 こんにちは、英語同時通訳者オンライン英語・通訳講師の山下えりかです。 

 

 先週の記事では先日のトランプ風刺動画を受けて、私が高校留学時代ヒューストンでホームステイ中に見た、保守派のホストマザーによる黒人差別についてご紹介しました。先週の話は私が当事者の話ではありませんでしたが、今週は私が実際に経験したアメリカの有色人種差別について書こうと思います。

 

 以前、トランプ氏が日本人の英語をバカにしたというニュースを元に、アメリカの言語差別についてブログ記事を書きました。私の場合は環境に恵まれたおかげで、幸運にも言語差別に遭ったことはありません。

 

 初めてのアメリカは高校留学でのホームステイでした。私は家族の一員として扱われたため、ホストファミリーと暮らし行動している限りどこへ行っても差別を受けることはありませんでした。

 

 ホストファミリーの影響力が及ばない唯一の場所は学校でした。ヒューストンは元々ヒスパニックや黒人系の人口が多く、アジア人もそこそこの数がいて、学校でもあまり自分の色を意識することはありませんでした。それでもやはりESL(外国人向けの英語の授業)を取っている生徒に対しては、一般の生徒は距離を置いていたように思います。ただし以前の記事にも書いた通り留学生はESLの受講が認められなかったので、私の授業は全て現地の生徒と同じ内容でした。そのためやはり、差別を感じることはありませんでした。

 

 ESLを受けていなかった以外に私が差別を受けなかった理由はもうひとつ、私が日々習慣にしていた行動にもあったのかなと、今になって思います。高校留学中、私は常に小さな折り紙を携帯し、暇さえあれば何か折っていました。授業前の教室で、ランチタイムのカフェテリアで、学校の後のホストマザーのオフィスで、ホストファミリーと食事に行ったレストランで。

 

 当時は今ほど折り紙がメジャーではなかったので、折り紙を折っていると誰かが寄ってきて声をかけました。「すごい!それほしい!」だったり、「私もやりたい!教えて!」だったり。

 

 そうやって声をかける相手、または自分の興味を引く何かをできる相手を下に見ることはほぼないと言うことでしょう。ただの折り紙好きと目立ちたがり屋が合わさった行動ではありましたが、結果として周囲の注目を集め少しだけ人気者のような存在でいたことで、極端に下に見られて差別されるということは一切ありませんでした。

 

 私は高校留学中は保守派の白人家族に守られ、学校では折り紙で人気者になることで差別要因を排除し、後々まで大きな差別要因として残りやすい言語問題さえも頑固なホストマザーのお陰で克服し、その後再渡米して大学生活に入ってからも差別に出くわすことなく過ごした、何とも恵まれたアメリカ生活を送った人間です。そんな私でも大学2年目に、初めて自分の色を意識させられた差別の現場に遭遇しました。

 

 アメリカの大学では専攻を後付けで決めることがよくあります。また最初に決めた専攻を後になって変更することも、とても簡単です。実際私は2年間の間に、ジャーナリズム→文学→経済→広告学と、コロコロと専攻を変えました。最初のうちは教養科目ばかりで専門科目はほとんどやらないため特に問題が無いのと、学部によっては専門科目の中に共通する科目が含まれる場合もあるため、そこをうまく利用すればそれまでに取った単位を無駄にすることなく専攻を変えられるのです。

 

 さて最後の広告学を専攻に決めた直後、マスメディア学部全体を対象とした学部パーティーがありました。必須ではなく自由参加のパーティーで、会費は25ドルだったと記憶しています。専攻を変えたばかりで知り合いもいなかったので、まずはどんな人がいるのか知って人脈を広げようと、案内が来てすぐに申し込みをしました。

 

 パーティー当日。会場に入って驚きました。私以外の参加者が全員、白人だったのです。黒人もヒスパニックもアジア人もいません。その中でたった一人の有色人種の私はとても目立ったため、注目を集めました。

 

 視線が刺さるほど見られるのに、誰も声をかけようとはしません。専攻替えの時に担当してくれたアドバイザーも挨拶だけ交わすとすぐに離れて行きました。いつもなら目が合ってニコリとすれば相手も笑顔を返してくれるのに、目が合っても逸らされます。

 

 会場の中で私だけ、完全な別物扱いされているのがはっきりと分かりました。背筋が寒くなり指先が震えました。自分の肌の色を初めて強く意識し、普段は陽気なお国柄の上っ面に隠されている白と有色の区別は今も確かに存在するのだと痛感しました。

 

 恐らくこのパーティーは、マスメディア専攻者にはそういうパーティーだと知られているものだったのだと思います。実際マスメディア学部には普通に黒人もヒスパニックもアジア人もいましたし、専攻科目の授業ではよく見かけていました。一切彼らの姿を見なかったのはこのパーティーだけです。

 

 そんな異常事態に直面し、最初は面喰いました。本当は少しだけ、泣き出しそうにもなりました。しかししかし...こんなすごい経験きっともう二度とできないという思いが、ふと頭の隅に浮かびました。

 

 そう思った途端に体の震えは収まりはじめ、冷静に周囲を見渡せました。冷たい視線に耐えられずそこから逃げることはしたくありませんでした。25ドル分、美味しいものを食べて最後までパーティーに参加し、先に繋がる経験を持ち帰ってやろうと思いました。結局最後まで私とまともに視線を合わせる人はおらず、先述のアドバイザーとの挨拶以外は誰とも話をすることなくパーティー会場を後にしました。

 

つづく。

 

 

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